昭和46年 |
「三國刺繍」として群馬県高崎市で独立開業する。 |
昭和48年 |
過労により脳梗塞で倒れる。 半身不随となり閉業。 |
昭和49年 |
奇跡的に回復し、4年後の昭和49年愛媛県西条市で「ネームマーク中村」として刺繍業に復帰。 |
昭和51年
スポーツマークのはじまり |
愛媛県松山市で「ナカムラマーク」としてネーム刺繍業からスポーツマークへの転換を始める。 |
平成3年 |
有限会社ナカムラマークとして法人化する。 |
平成4年 |
(株)ミズノの指定工場として、スポーツマークに携わる。 |
平成7年 |
エンドレス生産システムを導入し、多品種、小ロットのニーズに対応し品質、生産量ともに画期的な進歩を遂げる。 |
平成8年 |
刺繍命名札などを考案し、スポーツマークだけではなくさまざまな分野の商品開発を始める。 |
平成11年 |
国内外で初めて「自動千鳥」の生産加工に成功。
プロ野球界やメジャーリーグへの参入を目指す。 |
平成13年
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「野球日本代表」のユニフォームを(株)ミズノの元生産に携わる。 |
平成15年 |
マークブランド「Namer」を設立し、ホームページでチームオーダーの受注を始める。 |
平成16年 |
「野球日本代表」アテネオリンピック、長嶋ジャパンのユニフォーム生産に携わる |
平成17年 |
社屋拡大の為、工場を移転。 |
平成19年 |
「愛媛繍和紙」を開発、刺繍業界に新しい資材を送り出した。 |
平成20年 |
「野球日本代表」北京オリンピック、星野ジャパンのユニフォーム生産に携わる。 |